「供養」を紐解けば、「日本」が見えてくる?

「財布供養」や「人形供養」、果ては「こんにゃく供養」など、日本にはさまざまな種類の「供養」があります。これは「すべての事象や物に神は宿る」と信じられているこの国らしい文化かもしれませんね。しかし、供養って一体どのようなことをしているのか、よくわかっていない人も多いのではないでしょうか。

この連載は、日本に存在しているさまざまな供養を実際に体験してみる企画です。第三回目は、衣服を作る上で欠かせない針の供養を体験してきました。

今回お伺いしたお寺「浅草寺 淡島堂」さん

画像: 今回お伺いしたお寺「浅草寺 淡島堂」さん

今回「針供養」を実際に体験させていただいたのは、東武スカイツリーライン、東京メトロ銀座線、つくばエクスプレス、都営地下鉄浅草線が通る「浅草駅」から徒歩5分ほどの場所にある「浅草寺」さん。雷門、仲見世通りなどがあり、国内外から多くの人が集まる東京の有名観光スポットでもありますよね。

そんな浅草寺の歴史は古く、寺伝によるとご本尊がお姿を現されたのは、飛鳥時代、推古天皇36年(西暦628年)3月18日の早朝。1,400年近く前から今日に至るまで、観音霊場として多くの人々に親しまれてきました。

今回はそんな浅草寺の境内にある淡島堂で毎年2月8日に行われている供養のひとつ、「針供養会(はりくようえ)」に参加し、参列者の方にもお話を伺わせていただきました。

針供養とは

画像: 針供養とは

針供養とは折れた針や錆びた針を供養する行事で、淡島神社や淡島神を祀る堂宇を中心にして、全国的に催されている風習です。

江戸時代に淡島明神の功徳を説き歩いた淡島願人が、「女性の病を癒し、女性の持つ苦しみを救済してくれる」と説かれ、これらの影響により針供養の慣習が盛んになったと考えられています。ちなみに浅草寺にある淡島堂は、江戸時代・元禄年間に和歌山加太の淡島明神を勧請し建立されました。

針供養の方法は一般に、淡島神社に参拝し、やわらかい豆腐や蒟蒻に針を刺して針に感謝し、針仕事の上達、無事を祈るというもの。「なぜ豆腐や蒟蒻に針を刺すのか?」という疑問がわきますが、和裁の先生いわく「いつも硬い木綿の布を刺している針をいたわるよう、供養は柔らかいお豆腐や蒟蒻で」ということでした。

針供養が行われる日にちについては、事を納めたり始めたりするのに良いとされる「事八日(ことようか)」である12月8日と2月8日が一般的。地域によって異なりますが、西日本では12月8日、東日本では2月8日に針供養を行うことが多いそうです。

30丁分の大きなお豆腐に針を刺す不思議な光景

画像1: 30丁分の大きなお豆腐に針を刺す不思議な光景

浅草寺淡島堂の針供養は、2月8日の午前11時から執り行われます。今回私たちは10時過ぎに淡島堂にお伺いしたのですが、すでに人が集まり始めていました。

ちなみにお堂の前にある梅も、毎年この時期になると咲き誇るそうです。

画像2: 30丁分の大きなお豆腐に針を刺す不思議な光景

みなさん大量の針を持っていらっしゃるのですが、供養の針は一人2〜3本までの裁縫用途の古針のみ。それ以外の針は、入口で先に納めるようになっています。

画像3: 30丁分の大きなお豆腐に針を刺す不思議な光景

中に入ると現れるのが、堂内中央、お賽銭の横に据えられた30丁分の大きなお豆腐。このお豆腐に針を刺し、針への供養を営んでいくのですが、初めて参拝される方はやはりその異様な光景に驚かれている様子でした。

画像4: 30丁分の大きなお豆腐に針を刺す不思議な光景

10時半ごろになると、堂内入って右側にある魂針供養之塔前で先行して法要がスタート。金龍講による御詠歌も捧げられ、法要に花を添えていました。

画像5: 30丁分の大きなお豆腐に針を刺す不思議な光景

午前11時からの法要は年によって屋外で行う場合もあるそうですが、今年は淡島堂内で開催されました。

画像6: 30丁分の大きなお豆腐に針を刺す不思議な光景

堂内の鐘が鳴ると、紫や萌黄色の袈裟をお召しになった10人ほどの僧侶が登場。お経を読み上げながら、仏を供養すべく浅草寺の名が入った「散華(さんげ)」をまいていらっしゃいました。

その後5分ほどすると参列者が順番に焼香。供養自体は20分ほどで終了しその後10分ほど法話に耳を傾けるという流れで、故人の供養とほぼ変わらない内容でした。

画像7: 30丁分の大きなお豆腐に針を刺す不思議な光景

ちなみに浅草寺の針供養では大東京和服裁縫教師会の人々が中心となり、呼びかけを行っていることから、参拝者も洋裁や和裁の先生、生徒さんが中心。

これは寺社によって特色があるようで、新宿区にある正受院の針供養は一般社団法人日本和裁士会が呼びかけを行っているため、参列者も和裁を職業にしている方が多いそうです。

参列する人はどんな人が多い?

今回行われた浅草寺の針供養では、縫い子の仕事をしている方から趣味で和裁や洋裁を嗜まれている方、旦那さんの実家がお坊さんの衣装を作る針仕事をしているため、仕事の無事を祈りに毎年来ているという方や、洋裁や和裁の先生をしている方などが見受けられました。

画像1: 参列する人はどんな人が多い?

友人と二人で参列されていた70代の女性は「浅草寺の針供養に初めて来たのは洋裁の高校を卒業してすぐの18歳の頃。この先、手仕事で生きていくという感覚があったので、上達を願うべく参列するようになりました」と初めての参拝を振り返りながら「今は50年経ったのでお礼の気持ちで来ています」と感謝の気持ちを届けにいらしていました。

和裁の先生や生徒同士複数人で参列されていた60代の女性も「40年以上毎年参列して、曲がった針はここに納めに来ないと気が済まない」というほど習慣化されているよう。「昔は自分で作った着物をお召しになって参拝される方が多くて、とても華やかでした。今は随分減りましたね」と少し寂しげな気持ちも吐露されていました。

画像2: 参列する人はどんな人が多い?

今回初めて浅草寺の針供養に参加した、縫い子の仕事をしている30代の女性は「普段は仕事に追われて考えもしませんでしたが、針供養を経て針がないと仕事ができない、という当たり前のことを再認識しました」といい、小さいけれど大きな役目を果たす針への感謝の気持ちが高まったそう。また、「普段お裁縫の諸先輩にお会いする機会がないので、そういった先輩方とお話しできたのも良かったです」と話し、針供養は人々の交流の場にもなっていることが窺えました。

まとめ

法話の中で、とても印象に残る言葉がありました。

「仏教の世界では『人身受け難し』という言葉があるように、人に生まれるのは本当に難しいこと。そんな中で人に生まれ、人と出会ったり、素敵な映画や演劇に出会ったりすることは奇跡です。小さな針を介した出来事も例外ではありません。一年に一度、針供養の日に、針の出会いに感謝し、供養し、感謝の気持ちを持ち続けることが、大きな功徳に繋がるのではないかと思います」というお言葉。

日常の生活ではあまり意識しない小さな針ですが、この針がなければ私たちは暑さや寒さをしのぐ衣服を作ることもできません。私たちが生きる上で必要な衣食住の「衣」の部分は小さな針に支えられています。このように普段何気なく使っている物や事に目を向ける事、感謝をする時間は、心も豊かにしてくれることでしょう。

みなさんも、心の片隅にしまっているものをお寺さんで供養されてはいかがでしょうか。当企画では、これからも全国のさまざまな供養を取材していきます。

画像: まとめ

浅草寺 淡島堂(せんそうじ 淡島堂)
東京都台東区浅草2-3-1
03-3842-0181
諸堂は、午前6時の開堂~午後5時の閉堂(10月~3月の開堂時間は午前6時30分)

ライター/中森りほ
写真/横山英雄
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

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