画像: つわものたちが眠る地へ【大阪天王寺・真田幸村前編】

その地域で大切にされている偉人にスポットを当てる本企画「つわものたちが眠る地へ」。今回は今もなお人気の高い戦国武将、真田幸村(信繁)公です。

大河ドラマやゲーム、小説など創作の世界でも人気の真田幸村公。一番有名なエピソードは慶長19年の大阪冬の陣、翌20年の大阪夏の陣で活躍したことではないでしょうか。「大敵家康公に挑む天才軍師」として活躍した真田幸村公。悲願達成には及びませんでしたが幸村公の生きざまは今もなお人々を惹きつけています。

真田家ゆかりの地は、真田家の菩提寺のある長野の上田、昌幸・幸村父子が関ヶ原の戦いで敗れたあと14年間蟄居(ちっきょ)した真田庵のある和歌山県の九度山など全国にあります。今回はその中から、真田幸村公終焉の地であり大阪城の出城である「真田丸」を築いた大阪へと出発しました。

幸村公の面影を求めて大阪へ

真田幸村公の面影を求めてやってきたのは、東京に次ぐ大都市・大阪。

画像: 幸村公の面影を求めて大阪へ

江戸時代に物流、商業の中心地であった大阪を指して「天下の台所」という言葉が使われていましたが、その言葉に違わず独自の食文化が花開く活気のある都市です。

時代が目まぐるしく変わっていくなか、かつての懐かしい雰囲気が残るエリアがこの「新世界」。串カツやどて焼きといった人気の大阪グルメを楽しむことができます。

画像: ▲新世界のシンボル「通天閣」が観光客たちを出迎える

▲新世界のシンボル「通天閣」が観光客たちを出迎える

かつて激しい合戦の舞台となった大阪ですが、こちらはそんなことを感じさせないような平和で明るい雰囲気。

歴史の上に積み重なった上にできている、今自分の目の前にある平和を噛みしめつつ天王寺方面へ向かいます。

幸村公が陣を布いた茶臼山(天王寺公園)

画像: ▲天王寺公園内にある茶臼山。5世紀頃の前方後円形古墳跡なのではないかという説もある

▲天王寺公園内にある茶臼山。5世紀頃の前方後円形古墳跡なのではないかという説もある

現在天王寺公園として市民の憩いの場となっている茶臼山は、「茶臼山の戦い」の舞台にもなった激戦の中心地でした。

徳川方と豊臣方の関係が悪化する中、慶長19年(1614年)7月に京都方広寺梵鐘の銘文が徳川家康公の怒りを買い、大阪の陣の発端となりました。茶臼山は冬の陣では徳川家康本陣、夏の陣では真田幸村公が陣を布きます。

夏の陣で徳川方の約15万の兵に対して約5万5千の兵で応戦した豊臣方についていた真田幸村公。戦後最大にして最後といわれる戦いであった「大阪の陣」は、秀頼と淀殿が自害し、豊臣家が滅亡することで終焉を迎えます。

画像: 幸村公が陣を布いた茶臼山(天王寺公園)

現在の茶臼山はそんな熾烈な歴史を感じさせないぐらいにのどかな雰囲気の公園として生まれ変わっています。

そこにかつてあった本陣を偲ぶことができる「大阪の陣茶臼山史跡碑」は大阪の陣400年を記念して一心寺が企画制作して大阪市に寄贈したもの。沸騰するような波型は「群雄割拠」を、浮かび上がる円形は「天下泰平の世」を表現しています。

茶臼山(天王寺公園)
大阪市天王寺区茶臼山町1-108
06-6771-8404(大阪市天王寺公園事務所)

真田幸村公終焉の地・安居神社(やすいじんじゃ)

画像1: 真田幸村公終焉の地・安居神社(やすいじんじゃ)

真田幸村公の終焉の地と伝えられる安居神社。賑やかな大阪の中心にありますが、中に入ると静かで神聖な空気が漂っています。

御祭神は少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真公の2柱で「安居天満宮」としても地域の人々に親しまれています。安居神社の創建は不詳ですがその歴史は古く、聖徳太子が四天王寺を建てた頃(593年)と同時期だといわれています。

画像: ▲お話を伺った宮司の長島一熈(かずひろ)さん

▲お話を伺った宮司の長島一熈(かずひろ)さん

大阪夏の陣で傷を負った真田幸村公は、安居神社まで逃げのびてきて、境内で手当てをしているところを急襲され命を落としたと伝えられています。

画像2: 真田幸村公終焉の地・安居神社(やすいじんじゃ)

現在は境内に「眞田幸村戦死跡之碑」と兜を脱いで休む姿の銅像「眞田幸村公之像」が建っています。

境内には2代目さなだ松(1代目は第二次世界大戦で焼失)が生えており、幸村公はそこで力尽きたといわれています。

画像3: 真田幸村公終焉の地・安居神社(やすいじんじゃ)

「眞田幸村戦死跡之碑」の傍らには、現在も真田幸村公を慕う方々による供物がたくさん置いてありました。戦国武将の墓所は、その人物を偲ぶために各地に建てられることがあります。

真田幸村公の終焉の地というのは全国でもこちらの一か所のみです。そういった意味では、幸村公を偲ぶのに最適な場所なのではないでしょうか。

画像4: 真田幸村公終焉の地・安居神社(やすいじんじゃ)

ここ一帯は夕陽丘と呼ばれる夕陽がきれいな場所です。

幸村公は家康公を討つという悲願こそ達成できませんでしたが、こちらに戻ってきて、夕日を見ながら自分の運命を受け入れたのではないでしょうか。こちらの境内に建つ、幸村公の銅像の穏やかな姿を眺めていたら、なんとなくそんな気持ちになりました。

安居神社
大阪市天王寺逢坂1-3-24
06-6771-4932

大阪の陣の舞台・大阪城公園

画像1: 大阪の陣の舞台・大阪城公園

大阪城天守閣のある大阪城公園にも行きました。大阪の中心に位置する大阪城公園は、現在では中核にある天守閣や堀を眺めながら四季の花々を楽しむことができる、観光客にも人気な都市公園となっています。

もともとはこちらには石山(大阪)本願寺という巨大な勢力を持つ大寺院がありました。石山本願寺は天正8年(1589年)、天下統一を目指す織田信長公に屈し、その跡地に秀吉公が築城したのが大阪城です。

画像2: 大阪の陣の舞台・大阪城公園

現在のような史跡公園として整備されたのは戦後から。総面積105.6haの広大な土地には約300本の桜を楽しめる西の丸庭園や約100種、1270本の梅の花が咲き誇る梅林が四季折々の花を咲かせます。

また、年間通してコンサートが開催される大阪城音楽堂や大阪城ホール、弓道場などのスポーツ関連施設もあり、常に人が集まる場所になっています。

画像3: 大阪の陣の舞台・大阪城公園

合戦の舞台となった大阪城、現在はこんなにも平和な雰囲気に包まれていました。

大阪城
大阪市中央区大阪城
入場無料(園内各施設には利用料設定有)
06-6755-4146(大阪城パークセンター)

幸村公縁の地をまわり、今私たちが当たり前のように享受している平和はたくさんの歴史の積み重ねの上に成り立っている……そんなことを感じずにはいられませんでした。

戦国時代に生まれ、戦の中で死んでいった幸村公はこんな穏やかな気持ちで大阪の街を歩くことはあったのでしょうか。

画像4: 大阪の陣の舞台・大阪城公園

次回は大阪・玉造地区にある幸村公のお墓を中心にめぐります。

ライター/井口エリ
写真/やまたねこ
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

Youtube 「真田幸村公前編」つわものたちが眠る地へ

画像: 真田幸村公前編「つわものたちが眠る地へ」 www.youtube.com

真田幸村公前編「つわものたちが眠る地へ」

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