新しいことを始めるには、賛否様々な意見にぶち当たることもあるだろう。遺された家族が一歩踏み出せるようにという思いから、どんなに壁にぶち当たっても、商品発案から起業までを実現した株式会社リベルテの山路さん。それを支援した株式会社フェリシモ東北事務所の小島さんのお二人に、これまでの道のりを聞いてみました。
できるわけがないって言われ、
だったらやってやる!と。
Le Lien(以下、ル・リアン)は、プリザーブド加工の花飾りとオリーブの苗木のセットで“結びのセレモニー”を行う、新しい供養のスタイル。“結びのセレモニー”で結ばれたオリーブの木と共に暮らし、語りかけることで、残された方が未来へと歩いていけるようにと作られました。その発案者である株式会社リベルテの山路さんと、商品化を支援した株式会社フェリシモ東北事務所の児島さんにインタビュー。
━━山路さんは、ル・リアンを開発されたことがきっかけで、2019年5月に起業されたんですね。
山路 2017年1月に仙台商工会議所とフェリシモの東北事務所さんが 、タイアップした商品開発ワンポイントセミナーを受けたことが始まりです。結婚と出産をしてからも子どもの面倒をみながら働いていたんですが、主人の転勤で誰も知らない町へ引っ越すことや主人の仕事の都合でワンオペ育児の状況で、当時はとにかく大変でした。
ようやく子どもが高校生になった時に、今度は子どもが私を必要としなくて! 最初はショックを受けたんです(笑)。でも子育てには成功したんだ、ここから先は自分がやりたいことを苦労してでもやっていきたい!と思いまして、ある起業支援のセミナーに出て、企画をボンボン出したら、できるわけがないと言われたんです。私、できるわけがないって言葉がすごく嫌いでして。
児島 負けん気が強いですからね(笑)。
山路 できるわけがないって言われた瞬間に、だったらやってやる!と(笑)。それで、仙台商工会議所とフェリシモ東北事務所さんがタイアップした商品企画アカデミー (*)を受けたんです。
(*3ヶ月間全9回の商品企画の支援セミナー)
その企画に命をかけられるか?
━━その時すでにル・リアンの構想があったんでしょうか?
山路 その当時はなかったですね。最初は児島さんに絞られながらでしたけど、アカデミーの中間発表で、それまで検討していたことと違う、ル・リアンの原型となる企画を発表しました。児島さんのセミナーで、「誰のために、何をしてあげたいか。そこを深く掘り下げないといけない」っていう言葉を聞く中で、思い当たったことがあったんです。
私、2016年の夏の終わりに不慮の事故で友人を亡くしまして。近しい人間だったので、荼毘に付すまでずっと付き添いましたが、お葬式は決まったことを流れでやっているように感じて。小学校低学年のお子さんもすごく泣いていて、この先、お子さんが亡くなったお父さんのことをどう受け止めて生きていくのかをずっと考えて、お葬式が終わった後も私はひきずっていました。
児島さんの言葉で、その時のことを思い出して、亡くなった友人に対してはもう何もできないけれど、残された人のためには何かできるんじゃないかと。それで中間発表で残された方に寄り添うアイテムに内容を変えました。
児島 僕からは、「山路さんのこれからの大切な時間を使って、それに関わる人の時間も使って生み出すのに、どういうことなら命をかけられるのか」と問いました。だったら、「私はあのことだ」と、そこからグンと方向性がよくなりましたね。
亡くなった父の写真に
話しかけることで前に進めた
児島 僕は小2の時に親父が亡くなって、母が女手一つで育ててくれたんです。家族は半年以上経っても、まだ進めていないっていう山路さんの話が自分の人生と重なって、僕も小3、4ぐらいの頃は寂しかったし、誰にも見られないように、父の写真に向かって話しかけて泣いていたり。その後も自分が岐路に立っている時は、父の写真に話しかけていました。
だから、残された家族が何かに話しかけるシーンが僕にはものすごくリアルで。最初は棺桶にも入れられる木の指輪を提案されていたんですけど、話しかける対象が身近にあるといいし、話しかける対象に命が宿っている方が想いを重ねられるので、加工物より植物がいいかもとアドバイスをして、それがル・リアンの原型になりました。
━━それは、2017年の1月にセミナーを受けてから、どのぐらいの時期ですか?
山路 2017年の3月ですね。3ヶ月間のプログラムでした。
━━そんな短期間だったんですね。
山路 中間発表が木の指輪で、最終発表がル・リアンの形でした。ただ、その時は植物をユーカリで考えていたんです。植物の専門家に聞いたところ、ユーカリは育てるのが難しいと言われまして。長く一緒にいられることを考えると、寿命が長くて、育てることが楽な植物だろうと探しまして、オリーブになりました。