終活を何となく意識するようになったライターが、海洋散骨を行う株式会社ハウスボートクラブが営む終活コミュニティカフェ〈ブルーオーシャンカフェ〉の5周年記念イベントに行ってきました。終活をしている人はもちろん、終活を躊躇している人にも足を運んでいただきたい場所です。

画像: Photo by Ankhesenamun 96 on Unsplash

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お墓なんていらない!?

少し自分の話をさせていただきたい。私の母方の祖父は長男で、先祖代々の墓を大事にし、お金をかけて立派にした。それを誇らしげに手入れしながらいつも「じいちゃんがここに入ったら、お参りに来てよ」と言い、約10年前そこに入った。

一方、父方の祖父は三男で、最近亡くなった。がん闘病中に遺した祖父の日記やメモには死に抗う気持ちが強く表れていた。父は、生前祖父が用意していた墓地に祖父の名前の1文字だけが彫られた真新しい墓を建て、でも自分たちが亡くなる頃には永代供養にするつもりだと言った。

父には、私を含め娘しかいない。嫁に行った娘たちに墓を背負わせるのは負担だと思ったのだろう。それを聞いて、私は初めて自分の墓のことを現実的に考えた。夫の実家の墓に自分も入る? 自宅の近くに墓を建てる? 永代供養? どれもピンと来なかった。

私にも娘がひとり。何も背負わせたくない。死んだら土に還るだけ、残った人の記憶にあればいい。死んだあとの居場所を決めるなんてナンセンス、どこへでも自由に漂いたい。だから結論、「墓はいらない」。娘が手元に置いて手を合わせたいと言ってくれるなら、木製のミニ骨壺に少し入れてもらって、娘が亡くなったら一緒に焼いてもらおう。それから私は、終活というほどではないが、墓ではない何かについて何となくアンテナを張るようになった。

画像: Photo by Jude Beck on Unsplash

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少し検索すると、株式会社ハウスボートクラブという海洋散骨を行う会社を見つけた。ブルーオーシャンカフェという終活カフェを経営しているというのも気になった。「海洋散骨って自由でいいな」くらいの気持ちだったので、さすがにひとりで乗り込む勇気はなかったが、今回縁あってブルーオーシャンカフェの5周年イベントに参加させてもらえることになった。

逝き方を教えてくれる
〈終活コミュニティカフェ〉

およそ〈終活カフェ〉という言葉からイメージするようなお店ではない。外観も内装もハワイアンテイスト。ただそこにはミニ骨壺やメモリアルアイテム、終活関連の書籍が並ぶ棚があり、この日は棺も置かれていた。

▼お店の様子や入棺体験のレポートはこちら

ブルーオーシャンカフェは何度も相談しやすい環境を作るため、終活イベントやセミナーだけでなく、遺族へのグリーフケアや、LGBTを対象としたライフエンディング支援なども行っている。生き方が多様化すれば、逝き方も多様化する。誰もが自分らしく生き抜けるよう、その選択肢や情報をここから発信する。だからここは終活カフェではなく〈終活コミュニティカフェ〉というのが正しいのだな、と思った。

死というゴールから逆算して
どう生きるか

この日は、入棺体験もできた。私自身は恐怖が勝り入棺するに至らなかったが、不思議なほど皆笑顔で入棺を楽しんでいた。一度入ったらハマってしまう人も少なくないという。暗闇の中で自分と向き合う時間。死ぬのが怖くなくなったと感じる人もいるとか。

また、入棺体験する人たち全員が身に着けたエンディングドレスとヘッドドレスも興味深かった。美しく着飾って旅立ちたいという人の気持ちが形になったエンディングドレスと、葬儀でまじまじと自分の顔を見られたくないという人にもぴったりのヘッドドレス。たしかに葬儀だって結婚式と同じ。こうしてほしい、こうしてほしくない、とはっきり言っておきたい。死んだあとのことだから何でもいいや、とはやっぱり思えないのだ。

画像: 死というゴールから逆算して どう生きるか

ハウスボートクラブの村田社長はあと10年、お母様の亡くなった年齢に追いつくまでは必死でこの仕事を頑張ると言った。驚くほど胸を張り、前を向いて。そうやってひとつ区切りをつけてそこまで全速力で走ると決めることや、終活のように死というゴールから逆算して生きている時間のことを考えるのは、人によってはネガティヴに思うかもしれないけれど、少なくとも彼女から負の印象は1ミリも感じなかった。死を見つめることで生き方がはっきりする、生きる時間を大事にできる、それを体現している人なんだなと思った。

今、自分は生きることに無我夢中で、終活という言葉に抵抗があるのもたしかだ。しかし村田社長をはじめブルーオーシャンカフェのイベントに参加した人たちに出会って感じたのは、ちょっとワクワクしてしまう気持ちだった。もちろん死にたくはない。でもいつか死ぬ。それなら自分はその時どうしたいだろう、その時までどう生きよう……。そんな考え方をしたのは初めてだった。

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