画像1: つわものたちが眠る地へ【岐阜・織田信長公編】

歴史上の偉人たちが積み重ねてきた歴史の上に今の私たちの生活がある。……ということは頭で理解していても、途方もなく長い時間が経ち過ぎていて、いまいちピンとこないもの。

武将や偉人たちが残した偉大な功績も、どこか創作の物語のような気持ちで読んでしまっていました。

そんな“遠い存在”に感じていた武将や偉人たちをもっと身近に感じたくて、実際に彼らが眠る地を訪ねてみることにします。

「つわものたちが眠る地へ」第一回目の今回は、織田信長公が眠る地、岐阜を訪れます。

画像2: つわものたちが眠る地へ【岐阜・織田信長公編】

織田信長公といえば、言わずと知れた戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。1560年の桶狭間(おけはざま)の戦で今川義元を倒し、1567年美濃(みの)の斎藤氏を滅ぼし斎藤氏が城主であった稲葉山城を岐阜城と改めました。

1575年の長篠(ながしの)の戦では3000の鉄砲隊を投入し、武田勝頼を破ります。しかし家臣・明智光秀の謀反によって織田信長公は天下統一の道半ば、本能寺で討死。

享年49歳でした。その壮絶な生き様も含め、織田信長公には今もなお人を惹きつける魅力があります。

織田信長公の墓所とされる場所は全国にいくつかありますが、そのひとつがここ岐阜にあるのです。

黄金の信長公がお出迎え

画像: ▲JR岐阜駅北口広場に立つ黄金に輝く織田信長公像。市制120周年を記念して平成21年に建てられたもので、台座までは8m、像自体は3mあるのだそう

▲JR岐阜駅北口広場に立つ黄金に輝く織田信長公像。市制120周年を記念して平成21年に建てられたもので、台座までは8m、像自体は3mあるのだそう

岐阜の街並みと青空を背に、岐阜駅に降り立つ旅人を直々で出迎えてくれる織田信長公……。織田信長公は非常にもてなし上手な方だったそうで、自分自身で案内をしてお膳を運んで客人をもてなしていたという記録も残っているそうです。

現代に生きていたら、もしかしたら実際にこうして出迎えてくれていたのかもしれないですね。

それでは早速、信長公を巡る岐阜の旅へ出発しましょう。

川原町の古い町並みで旅情にひたる

画像1: 川原町の古い町並みで旅情にひたる

まず訪れたのは長良川にかかる長良橋付近にある通称「川原町」という格子戸のある古い町並み。

画像2: 川原町の古い町並みで旅情にひたる

残念ながら訪問時は鵜飼のシーズン外でしたが(鵜飼は毎年5月11日〜10月15日)、鵜飼で有名な長良川のほとりは「長良川温泉」として川沿いに7軒の旅館・ホテルが並んでいます。

長良川は温泉も楽しむことができるんですね。

画像: ▲道中には誰でも使える「手湯」も

▲道中には誰でも使える「手湯」も

岐阜三社のひとつ金神社へ

次に訪れたのは、JR岐阜・名鉄岐阜から徒歩15分のところにある金(こがね)神社。黄金の信長公に負けないぐらいに眩しい金色の鳥居が出迎えてくれます。

画像: ▲はじめは鋼鉄製の鳥居でしたが、25年以上過ぎ錆が目立ってきたため塗り替えを協議し、平成27年11月から今日のような金色の鳥居になったのだそう

▲はじめは鋼鉄製の鳥居でしたが、25年以上過ぎ錆が目立ってきたため塗り替えを協議し、平成27年11月から今日のような金色の鳥居になったのだそう

岐阜三社(伊奈波神社、金神社、橿森神社)のひとつでもある金神社には直接織田信長公にまつわる話は残っていないそうですが、岐阜という土地のつながりがあります。

永禄十年(諸説あり)に稲葉山城を攻略した織田信長公は、この地方を平定する際に地名を「井口」から「岐阜」と改めさせ、天下統一の足場にしたとされています。

神社の由緒は古く、なんと西暦135年。織田信長公が活躍した時代から1400年以上も昔からこの地にご鎮座されていました。

画像: 岐阜三社のひとつ金神社へ

現在の金神社には金運のご利益を期待して訪れる方も多く、金色のお守りや御朱印帳といった金にまつわる授与品も多いです。

なかでも御朱印は、通常は黒文字ですが毎月最終金曜日には特別に金文字で書いて授与しており、参拝客の人気を集めています。

こうしてみると岐阜の街は、「金」にまつわるものがたくさんですね。

画像: ▲左が通常の御朱印。右が毎月最終金曜日のみ授与される金文字の御朱印

▲左が通常の御朱印。右が毎月最終金曜日のみ授与される金文字の御朱印

金神社(こがねじんじゃ)
岐阜県岐阜市金町5-3
058-262-1316

崇福寺に眠る信長公父子と出会う

画像: 崇福寺に眠る信長公父子と出会う

次に伺ったのは岐阜・臨済宗崇福寺(そうふくじ)。この旅の目的でもある、信長公・信忠公父子の墓所があるお寺です。すごく静かできれいなお寺でした。

聞こえてくるのは鳥のさえずりと木の葉が風に揺れる音だけ。

画像: ▲今回お話をしてくださった副住職の東海宏徳さん

▲今回お話をしてくださった副住職の東海宏徳さん

例年よりまだ色づいていないそうですが、美しい緑・黄色・赤の葉が境内を美しく彩っていました。

なんというか、こういった表現がふさわしいのかどうかわからないのですが、ここに眠るとされる織田信長公に嫉妬したくなるくらいに美しいお寺です。

岐阜城で命を落とした武士たちを弔う「血天井」

画像: ▲弔いのため持ち込まれた血天井には鎖かたびらの跡なども生々しくついており、戦いの凄惨さを感じさせる

▲弔いのため持ち込まれた血天井には鎖かたびらの跡なども生々しくついており、戦いの凄惨さを感じさせる

寺院内には「血天井」と呼ばれる板が弔いのため保存されています。崇福寺の血天井は、元は信長公の孫の秀信公が城主だった時代の岐阜城の床材。

岐阜城で起こった争いによって多数の武士がこの床の上で命を全うし、弔いのため血がついた床板が崇福寺に納められ、それを天井に張り替えたのだそうです。

他にも、信長公が次男の信雄公に送った手紙など、信長公にゆかりのあるものがたくさん保存されていました。

信長公はなぜ岐阜に眠っているのか?

画像1: 信長公はなぜ岐阜に眠っているのか?

信長公は永禄十年(1567年)に現在の岐阜城である稲葉山城を攻略後、天正四年(1576年)に滋賀県近江八幡市の安土城に移ります。

そう考えると信長公が岐阜にいた期間ってそこまで長くないんですよね。でも岐阜に信長公の墓所がある……愛知で生まれ京都で亡くなった信長公が、なぜ岐阜のお寺に眠っているのでしょうか。

その鍵は信長公の側室のひとり、吉乃の方にありました。

画像2: 信長公はなぜ岐阜に眠っているのか?

信長公が岐阜に来た際、既に亡くなられていた信長公の側室・生駒吉乃(吉乃の方)を岐阜でも弔いたいということで、信長公と崇福寺とのご縁ができました。

そして時は流れ、織田信長公が本能寺で、信忠公は二条城にて討死をします。当時の側室で岐阜まで逃げのびたお鍋の方が、「崇福寺は信長公の菩提寺である」と信長公の遺品を崇福寺に送り、寺内に埋め、位牌を安置させました。

これこそが信長公の廟所とされる「織田信長父子廟」なのです。

画像: ▲寺内中庭の奥に静かに佇む「織田信長父子廟」

▲寺内中庭の奥に静かに佇む「織田信長父子廟」

途方もなく古い歴史を感じながら、墓所である織田信長父子廟に手を合わせました。織田信長公が活躍した時代は500年ぐらい昔の話になりますが、墓所があるのをみると、確かに実在していたのだと不思議な気持ちにもなります。

織田信長公は遺体が見つかっておらず、崇福寺の墓所には遺品が埋葬されていると伝えられているものの、実際には何が埋葬されているのかお寺の人でもわからないとのこと。

それでもこの墓所の存在は脈々と現代まで受け継がれ、信長公を弔ういにしえの人々の想いを感じさせてくれます。

崇福寺(そうふくじ)
岐阜県岐阜市長良福光2403-1
058-231-2613
大人200円、小人150円
団体(20名以上)大人150円、小人100円

金華山ロープウェーで山頂の岐阜城へ

画像1: 金華山ロープウェーで山頂の岐阜城へ

岐阜城は金華山の山頂にあり、麓の岐阜公園から徒歩でお城を目指そうと思うと1時間ぐらいかかるのだそうです。

でも、そんな山道を1時間も歩かなくても大丈夫。岐阜公園と金華山の山頂を約4分で結ぶロープウェーがあるんです。

画像2: 金華山ロープウェーで山頂の岐阜城へ

この金華山ロープウェー、ガラス部分が広く見晴らしが良い……。これはさすがの織田信長公も見ることができなかった景色ではないでしょうか。

眼下には金華山や長良川といった自然美や、岐阜の街並みを一望することができます。

金華山ロープウェー
岐阜市千畳敷下257
058-262-6784
大人(12歳・中学生以上)往復1,080円(片道620円)、小人(4歳以上12歳未満)往復540円(片道280円)、団体(30人以上)大人:1割引 小人:2.5割引 高校生・中学生:大人の2.5割引

岐阜城で天下人の気分を味わう

画像1: 岐阜城で天下人の気分を味わう

ロープウェーを降りて石段を歩いていくと、ついに岐阜城が見えてきました。金華山山頂に初めて城を築いたのは鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政と伝えられており、慶長6年に廃城となるまで何人もの武将・大名が城主を務めています。

岐阜城は、「国盗り物語」でも有名な斎藤道三の居城でもありました。昭和31年に復興された現在の城は鉄筋コンクリート造り3層4階構造で、岐阜市のシンボルとなっています。

昔はロープウェーもないから徒歩でしょうし、織田信長公はさぞ大変だったでしょうね。でも、信長公は山上と麓の館を行き来しており、大切なお客さんは山上にも招待したそうです。

画像2: 岐阜城で天下人の気分を味わう

岐阜城内は史料展示室になっており、一階はさまざまな武具が展示される「武具の間」、二階は岐阜城の城主を紹介する「城主の間」、三階は「信長公の間」となっており、信長公にまつわるものの展示などを見ることができます。

画像3: 岐阜城で天下人の気分を味わう

そんな岐阜城、現在築城されている城郭のうちでも有数の高さ(標高329m)にあります。天守からは鵜飼で有名な長良川が見え、東には木曾御岳山、北には日本アルプスも……。

雄大な自然と岐阜の街並みを一望できるこの景色は、なんだか天下人になった気分を味わうことができます。

信長公も、ここでこんな景色を眺めて天下統一を誓ったのかもしれませんね……。

岐阜城
岐阜市金華山天守閣18
058-263-4853
大人(16歳以上)200円、小人(4歳以上16歳未満)100円、団体割引 30人以上2割引

まとめ

物語や歴史や文献で見る織田信長公は、“自分とは遠い人物”という印象を抱いていましたが、今も昔も織田信長公を弔う人々の深い愛情を感じることで、また違った信長公の姿を垣間見た気がします。

活躍した時代から500年経っていても、人々が信長公を慕い弔う気持ちはちゃんと現在までつながっているんですね。

みなさんも、織田信長公を弔う人々の想いを岐阜で感じてみてはいかがでしょうか。

画像: まとめ

ライター/井口エリ
写真/やまたねこ
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

Youtube 「織田信長公編」つわものたちが眠る地へ

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織田信長公編「つわものたちが眠る地へ」

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