画像: つわものたちが眠る地へ【大阪天王寺・真田幸村後編】

その地域で大切にされている偉人にスポットを当てる本企画「つわものたちが眠る地へ」。

今回は前回に引き続き大阪で真田幸村公の面影を求める旅、後編です。

幸村公と真田十勇士がいる街・玉造幸村ロード

画像1: 幸村公と真田十勇士がいる街・玉造幸村ロード

JR玉造駅からすぐ近くにある玉造日之出通商店街。日之出通商店街と交差する飲食店など約30軒が連なる1本の通り。こちらはかつて名無しの通りでしたが、大阪の陣400年を前にした2013年に「玉造幸村ロード」と命名されました。

画像2: 幸村公と真田十勇士がいる街・玉造幸村ロード
画像3: 幸村公と真田十勇士がいる街・玉造幸村ロード

通りを歩くと真田幸村をはじめとした真田十勇士のパネルや、真田にちなんだメニューを提供するお店などに出合うことができます。

日之出通商店街
JR環状線「玉造」駅西側
地下鉄鶴見緑地線「玉造」駅5号出口からすぐ

真田幸村公の墓所がある心眼寺

画像1: 真田幸村公の墓所がある心眼寺

真田山心眼寺。白牟(はくむ)和尚が安土桃山後期に創建したお寺で、山号は真田山。心眼寺は冬の陣の後に取り壊されてしまいますが、幸村とその子大助の冥福を祈るために再建されました。

画像2: 真田幸村公の墓所がある心眼寺

境内にある真田父子の墓は真田幸村公の400回忌にあたり2014年に新たに建立されたもの。

真田父子の冥福を祈るために建立されたお寺ではありましたが、江戸時代は幕府の直轄地であったために当時はお墓を建てることができませんでした。幸村公の御位牌は、本堂の中で外からは見えないようにずっとお祀りしていたのだそうです。

画像3: 真田幸村公の墓所がある心眼寺

墓所の前には、訪れた参拝客によって真田家の家紋の六文銭を模したように賽銭が置かれていました。

画像4: 真田幸村公の墓所がある心眼寺

慶長19年(1624年)の大阪冬の陣では、豊臣方にとって手薄になっていた大阪城南東二の丸南に「真田丸」と呼ばれる砦を作り、松平忠直・井伊直孝・前田利常らを迎え撃った陣地です。

このあたりは戦争の際に甚大な被害を受けています。鉄筋コンクリート造りの本堂も、戦災以後に再建されたものです。境内にはかつて「幸村鎧掛の松の木」もありましたが、焼失してしまいました。

画像5: 真田幸村公の墓所がある心眼寺

心眼寺で祀られている「まんなおし地蔵尊」。不思議な名前ですが“まん”とは“間”の転音で運、めぐり合わせの意味で、不運を幸運に変える「運直し」のご利益があるとされています。

まんなおし地蔵尊は創建年代不明ですが真田幸村が、まん悪い時に開運祈願をして叶ったと伝えられてから日夜参詣者が絶えなかったようです。

画像6: 真田幸村公の墓所がある心眼寺

戦火で燃えずに残ったもの、普段は非公開の刀の鍔(つば)を見せていただきました。いわれはわからないものの、真田の家紋と同じ六文銭があしらわれています。

真田家の家紋は死者が三途の川を渡る時の渡し賃としてお棺に収める六道銭から転じたもの。戦いにのぞむ武士の覚悟を感じます。

真田山心眼寺
大阪市天王寺区餌差町2-22
06-6764-0630

「真田の抜け穴」三光神社(さんこうじんじゃ)

画像1: 「真田の抜け穴」三光神社(さんこうじんじゃ)

大阪城東南の丘陵(上町台)真田山に鎮座し、「幸村ロード」にもほど近い三光神社。

画像2: 「真田の抜け穴」三光神社(さんこうじんじゃ)

大阪城があるあたりは三方が川に囲まれており、敵は必ず南から攻めてくるということで砦を築いて、大阪城まで通じる暗道抜け穴「真田の抜け穴」を造ったという言い伝えが残っています。

画像3: 「真田の抜け穴」三光神社(さんこうじんじゃ)

「真田の抜け穴」は普段は鍵がかかっていて鉄格子越しにしか見ることができませんが、毎年11月第一日曜日に開催している「真田祭」で内部を公開しています。

画像4: 「真田の抜け穴」三光神社(さんこうじんじゃ)

境内には采配(さいはい)をかかげる勇ましい姿の真田幸村公像が鎮座しています。台座の石は信州上田の菩提寺から運ばれた「真田石」。こちらの石が上田と玉造、ふたつの真田に縁のある地をつないでいます。

第二次世界大戦の戦火を被り片柱になった「片柱の鳥居」が新しく建てられた鳥居と共に立っていました。

画像5: 「真田の抜け穴」三光神社(さんこうじんじゃ)

悲惨な戦争を二度と繰り返すことのないよう、悠久の平和と国家の安泰を祈願してこの片柱は残されています。

画像6: 「真田の抜け穴」三光神社(さんこうじんじゃ)

案内をしてくださった宮司の小田禮五郎(れいごろう)さんは満90歳。戦争を実際に体験している小田さんは、戦争を知らない世代に戦争の話を伝える活動もしています。

大阪市は第二次世界大戦の際に繰り返し爆撃された地域です。神社の裏には真田山陸軍墓地という日本で最初に設置された陸軍墓地がありますが、たくさんの墓碑に圧倒されました。

画像7: 「真田の抜け穴」三光神社(さんこうじんじゃ)

今回真田幸村公をしのぶために回ってはじめて、大阪の街には戦争から70年以上経ってもなお悲惨さを現在まで伝えるものがたくさん残されていることを知りました。

三光神社
大阪市天王寺区玉造本町14-90
06-6761-0372

真田幸村公が眠る地へ

画像: 真田幸村公が眠る地へ

戦国時代最大にして最後といわれる戦い・大阪の陣の終焉で戦国時代も幕を閉じます。真田幸村公終焉の地である大阪は、かつて日本が体験した悲惨な戦争の爪痕が残されている場所でもありました。

戦場の花と散ったつわものどもに手を合わせ、歴史の上に積み重ねられた今享受できる「平和」に感謝する。短い間でしたがそんな旅をすることができました。

次はどなたに会いに、どの街に行こうか。

ライター/井口エリ
写真/やまたねこ
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

Youtube 「真田幸村公後編」つわものたちが眠る地へ

画像: 真田幸村公後編「つわものたちが眠る地へ」 youtu.be

真田幸村公後編「つわものたちが眠る地へ」

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