先に旅立った人が、この世界に遺した品たち
故人が遺した物品を「遺品」や「形見」と呼んでしまうと、なんだか触れてはいけない厳かなもののような気がして、そのままタンスの奥に仕舞っておきたくなる人も多いでしょう。
しかし、その品を誰かが引き継いで愛用することで、それは永遠に道具としてあり続けるのではないでしょうか。道具に込めた故人の想いは、ともに生き続けるかもしれません。
次の世代に引き継がれた品たちを探訪する「次のあるじ」。第一回目は東京の立川で85年以上続く街の印刷屋「立川印刷所」が舞台です。
インクの匂いは働く父親の象徴
「子どもの頃から親父にくっ付いて印刷所に立ち寄ることもあり、印刷機の音やインクの匂いを身近に感じていました」
10ヶ月ほど前に逝去されたお父さまとの思い出を語りながら目を細めるのは、立川印刷所三代目社長の武(たけし)さん。
立川印刷所は、武さんの祖父である鈴木貞治(ていじ)さんが別の人から工場を引き継ぎ、昭和5年に開業しました。
立川印刷所は、地元の企業や学校から、名刺や封筒、冊子、季節の挨拶状など、ありとあらゆる印刷物の依頼を受けていました。また、以前立川にあった米軍基地から仕事を受けることも。
創業時は主に石版印刷や活版印刷を行なっていました。石版印刷はリトグラフとも呼ばれ、研磨した石面に直接書いた文字を転写し、水と油の反発性を応用して印刷する技術のこと。
そして活版印刷は、金属製の字型である「活字」を組み合わせて作った「活字組板」を用いた印刷方法です。現在ではその役目をデジタル製版に譲り、ほぼすべての印刷所から石版印刷や活版印刷は姿を消しました。
立川印刷所は例外で、活字を拾うことはしませんが現在でも活版印刷をしています。
武さんのお父さまである闊郎(ひろう)さんは、一度は新聞記者を目指したものの、最終的には貞治さんからバトンを受け取り、二代目として印刷所を継ぎました。地元で親しまれる印刷所の二代目として、お父さまは仕事だけでなく地域活動にも積極的に参加したそうです。
武さんが子どもの頃感じた“インクの匂い”は、仕事を通して社会と繋がる“働く父”の象徴。同時に、印刷所で見た、ある風景が脳裏に焼き付いていました。
「工場では活版印刷に欠かせない『文選(ぶんせん)』の職人さんが働いていました。原稿に合わせて大きな棚から活字を一文字一文字拾っていくんです」
しかし時は経ち、印刷業界は劇的な変化を遂げていきました。印刷技術のデジタル化が進み、活版印刷は下火になっていったのです。同時に、立川という街も大きく変わっていきました。
変わり行く街並み。いなくなって気付いた父の存在の大きさ
昭和52年に米軍基地が全面返還され、平成10年には多摩モノレールが開通した立川。同年、立川印刷所も工場社屋を新築し、武さんは3代目としてお父さまの跡を継ぎました。
「基地があった頃の立川の街並みが好きだったんですけどね。今では街の再開発が進み、当時の景色はほとんど残っていません」
そして、武さんが社長になってからも常に良き相談役だったお父さまは、2018年の2月、80年の生涯に幕を降ろしました。
いつも武さんが座るデスクのすぐ隣の部屋にいたお父さまの姿がなくなり、武さんは改めてその存在の大きさに気付いたそうです。
「何か相談するたび、親父からもらうのは『お前の好きにやればいい』という言葉でした。いつも当たり前のように近くにいたので、いなくなってから半年くらいは気持ちの整理がつかず、毎日泣いていましたね……。『自分は親父のことがこんなに好きだったんだ』と初めて気付きました」
印刷は「残す仕事」。大切な記憶を守り、語り継ぐ
子どもの頃の面影をなくした街で、お父さまの「死」を経験した武さん。
憂いを帯びた武さんを、今お父さまに変わって見守り続けているのが、あの活版印刷の「文選」に使っていた活字棚(かつじだな)です。武さんは、活字棚の「次のあるじ」となりました。
以前は印刷所にズラリと並んでいた活字棚を、武さんは1台だけ残し、毎日通る通路に置いています。
それはただノスタルジーに縛られるのではなく、印刷会社の三代目として「残す」というDNAを今に受け継いだ武さんならではの想いがありました。
「この活字棚はうちの会社で僕が生まれる前から働いていた“人”です。これまでに地域の人の言葉や、基地の歴史など、いろいろなものを活字に残してくれました。例えば“昔基地があった”という事実はある意味でネガティブな側面かもしれませんが、僕はそんな立川で生まれ育ち、親父や家族との思い出をたくさんつくってきました。すべての記憶を上書きしてしまうのはあまりにも寂しい。今でこそ活字棚は使えませんが、これを見るたびに当時工場で感じていたインクの匂いを思い出し、自分の使命を確かめます」
そう語る武さんは、立川の昔の街並みを集めた写真集やカレンダーを数年前から制作しています。それは立川市民のためであると同時に、独自の方法でお父さまとの記憶を辿る、武さんとお父さまの“旅”なのかもしれませんね。
誰かが引き継いで愛用することで遺品は永遠に道具としてあり続け、その品に込めた故人の想いは、道具とともに生き続ける。「次のあるじ」では、故人の想いを継がれた品たちを今後もご紹介していきます。
ライター/下條信吾
写真/黒羽政士
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)
取材協力:立川印刷所
東京都立川市富士見町5丁目6−15 ヤマスアパートメント 1F
042-524-3268
Youtube 「立川印刷所の“活字棚”」次のあるじ 第一話
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