その地域で大切にされている偉人にスポットを当てる本企画「つわものたちが眠る地へ」。
第二回となる今回は、戦国三英傑のひとり、徳川家康公です。
戦国時代を生きた武将、徳川家康。家康公は、織田信長公や豊臣秀吉公など数多の武将が夢見た悲願の天下統一を果たし、応仁の乱から約100年続いた戦国時代に終止符を打ちます。天下統一を果たした後は慶長八年(1603年)に江戸に幕府を開き、約260年と長い期間徳川氏が政権を握ります。徳川時代……いわゆる江戸時代には浮世絵などの芸術や町民文化が花開いた時代となりました。
そんな徳川家康公の廟所に関しては諸説あります。その中でも有力とされているのが、家康公が御遺言で「この場所に自分を葬って欲しい」と指定した静岡の久能山東照宮、「1周忌の後に神として祀りなさい」と指定した栃木の日光東照宮という2か所。今回は久能山東照宮のある静岡へ徳川家康公を偲ぶ旅に出発します。
自身の幼少期を見つめる家康公のまなざし
まず訪れたのはJR静岡駅。静岡駅北口広場には徳川家康公の銅像と、徳川家康公の幼少期である竹千代の像があるので立ち寄っておきたい。
![画像: ▲往年の姿の徳川家康公像(五か国統治時代)は、平成19年度に徳川家康公の駿府城入城400年を記念して行われた「大御所四百年祭」の一環で設置されたもの](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/bf53a996d99b8769fce4c36770f1b4f70d93aeb2_xlarge.jpg)
▲往年の姿の徳川家康公像(五か国統治時代)は、平成19年度に徳川家康公の駿府城入城400年を記念して行われた「大御所四百年祭」の一環で設置されたもの
静岡の街には家康公にまつわるものや徳川を想起させる三つ葵の印章をよく見かけました。家康公が、いかに静岡の人々に愛されているかというのが伝わります。
![画像: ▲家康公の竹千代時代の像](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/d149b667d840b97c972db5fe1d63996ac9b37088_xlarge.jpg)
▲家康公の竹千代時代の像
采配を手に持ち、刀を携え天下統一を見据えた壮年期の家康公。そのまなざしの向こうには、8歳から19歳まで今川氏の人質として過ごしていた幼少期の姿・竹千代像が建っています。
![画像: 自身の幼少期を見つめる家康公のまなざし](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/983c2edbb2afcaedfb119c527adac67a5a1cb77f_xlarge.jpg)
ぎゅっと手を握りどこか心細そうな表情の竹千代像と、その姿を静かに見つめる戦に出んとする勇ましい姿の家康像。物言わぬ銅像は何を考えているのでしょうか。
家康公が崇敬した神社・静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)
![画像1: 家康公が崇敬した神社・静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/ceb3109f93a137de273a5a013ed21bc4eb33f074_xlarge.jpg)
家康公の人生を語る上でも外せないのが、家康公が戦勝祈願をしたと伝えられている静岡浅間神社(通称おせんげんさま)。
![画像2: 家康公が崇敬した神社・静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/e7d1d2ba816171c1a800f7874105467af2c37188_xlarge.jpg)
静岡浅間神社は神社の集合体であり、境内にある神部神社(かんべじんじゃ)・浅間神社(あさまじんじゃ)・大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の3社で静岡浅間神社、さらに境内にはそれとは別の4社(麓山神社・少彦名神社・八千戈神社・玉鉾神社)の合計7つの神社があります。
![画像: ▲ご案内の静岡浅間神社 権禰宜(ごんねぎ)の宇佐美さん](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/ce725591c089b9cc59398af3090716e431bd6e22_xlarge.jpg)
▲ご案内の静岡浅間神社 権禰宜(ごんねぎ)の宇佐美さん
明治時代に合祀された神社を含めると、広い境内に40社の神社、56の神々が祀られていることになります。こちらはぜひ時間的なゆとりをもってゆっくり回るのがおすすめ。
![画像: ▲富士山を模したとされる大拝殿。楼閣造りで浅間造りの代表的な建造物でもある大拝殿は高さ約25メートルあり、神社建築でも日本最大級の高さを誇ります](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/d8c441865d3921ba1c4e13c5e38bbd40b1c52896_xlarge.jpg)
▲富士山を模したとされる大拝殿。楼閣造りで浅間造りの代表的な建造物でもある大拝殿は高さ約25メートルあり、神社建築でも日本最大級の高さを誇ります
こちらの大拝殿の神部神社には、徳川家康公も神様として祀られています。今川氏の人質だった……というと聞こえは悪いけれど、人質とは今でいう「留学」のようなものだったそう。駿府はその当時、今でいう“文化都市”で、特に今川義元公の時代には京都から有名な文化人がたくさん身を寄せていました。
![画像: ▲家康公は、こちらの神社にて今川義元公が烏帽子親となって元服式を行っています。その時に義元公から贈られた「紅糸威腹巻」(くれないいとおどしはらまき)という甲冑は現在も静岡浅間神社の宝物として保管されています(非公開)](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/741feb3dfa8368cc340dc8a4a911ed9e2fd2dc24_xlarge.jpg)
▲家康公は、こちらの神社にて今川義元公が烏帽子親となって元服式を行っています。その時に義元公から贈られた「紅糸威腹巻」(くれないいとおどしはらまき)という甲冑は現在も静岡浅間神社の宝物として保管されています(非公開)
家康公も駿府で過ごすことで様々な刺激を受けたことが考えられます。徳川が治めていた江戸時代というのは、さまざまな文化や芸術が花開いた時代。家康公がここで過ごした経験は、後の文化の発展につながっていたのかもしれません。
![画像3: 家康公が崇敬した神社・静岡浅間神社(しずおかせんげんじんじゃ)](https://d1uzk9o9cg136f.cloudfront.net/f/16783418/rc/2019/01/21/61f7823d9add47fbee2ded3a61d4a805cb863b44_xlarge.jpg)
境内社の八千戈神社、こちらは家康公が肌身離さず持っていた戦勝祈願の御守を祀るために創られた作られた神社です。
家康公の孫にあたる三代将軍家光公は、日光でも久能山でもなく、敢えてこちらの静岡浅間神社に八千戈神社を作ります。この神社が家康公、そして徳川家にとって大事な場所だったということを伝えるエピソードですよね。
静岡浅間神社
静岡市葵区宮ヶ崎町102番地1
054-245-1820