画像: 「煎餅屋 みりん堂の“家伝の醤油タレ”」次のあるじ 第三話

先に旅立った人が、この世界に遺した品たち

故人が遺した物品を「遺品」や「形見」と呼んでしまうと、なんだか触れてはいけない厳かなもののような気がして、そのままタンスの奥に仕舞っておきたくなる人も多いでしょう。

しかし、その品を誰かが引き継いで愛用することで、それは永遠に道具としてあり続けるのではないでしょうか。道具に込めた故人の想いは、ともに生き続けるかもしれません。

次の世代に引き継がれた品たちを探訪する「次のあるじ」。第三回目は東京スカイツリーのお膝元、墨田区業平で4代続く煎餅屋「みりん堂」が舞台です。

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戦争で焼け野原になった東京。戦火を逃れた家伝の醤油タレ

「煎餅屋ほど面白い商売はないと思いますよ。美味しい一枚に仕上げるためには、天候や気温に合わせて焼き方を調整しなければいけない。簡単そうに見えるだろうけど、素人にできる仕事じゃないんです。だからこそ毎日楽しい」

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そう語るのは、現在店に立つ三代目の髙橋延芳(たかはし のぶよし)さん。

みりん堂は大正12年に創業した老舗の煎餅屋で、さらに遡ると先代の父親が明治の頃に足立区の入谷で営んでいた煎餅生地屋を起源とし、とても長い歴史を持ちます。

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延芳さんが生まれたのは第二次世界大戦の末期のこと。昭和20年3月10日の東京大空襲が起こったわずか2週間後に産声をあげました。

「空襲でこの辺り(墨田区業平一帯)は焼け野原になりました。戦争が終わるまでの間、おふくろは私を背中におぶって戦火から逃げたと聞いています」

激動の時を生き抜いた髙橋家。みりん堂の店は跡形もなく燃えてしまいましたが、創業時から代々継ぎ足してきた家伝の醤油タレは群馬にある延芳さんの母方の実家に移され、床の下に隠されて難を逃れたのでした。

画像3: 戦争で焼け野原になった東京。戦火を逃れた家伝の醤油タレ

復興を支えた醤油煎餅。幼い頃の記憶

「この辺りには労働者がたくさん住んでいて、みんなお茶菓子にうちの煎餅を買って行きました」

終戦から5年ほど経った頃、みりん堂は同じ場所で店舗を再建し、復活しました。

画像1: 復興を支えた醤油煎餅。幼い頃の記憶

当時店に立っていたのは初代の茂芳(しげよし)さんと二代目の修造(しゅうぞう)さん。幼かった延芳さんも、店先で煎餅を焼く二人の姿や、訪れるお客の様子から街の雰囲気を感じとっていました。

「今の街の風景からは想像できないと思いますが、当時はこの辺りには粗末なつくりのバラック小屋が建ち並んでいました。食べるものも少なく、今と比べると随分貧しい暮らしでしたが、復興に向かう街はとても活気がありましたよ。我が家の壁も隙間だらけで、夜になると天井の隙間からは綺麗な星が見えました」

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醤油タレの“次のあるじ”に

煎餅屋で生まれ育ち、子どもの頃から家業を継ぐように教育されていた延芳さん。

大学を卒業すると、「サラリーマンを経験しておかないと後で羨ましく思ってしまうから」という、煎餅屋を継ぐことを前提にした理由で一度物流の企業に就職しました。延芳さんは期待を裏切ることなく数年で会社を辞め、お父さまであり二代目の修造さんとともに煎餅屋の仕事を始めたのです。

「親父は無口な人で、まさに職人気質な性格だったので、煎餅の焼き方をしっかり教えてもらったことはありません。その姿を見て技を盗みました。同時に『真面目に丁寧に仕事をする』といった信条や姿勢も学びました」

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そして、今から50年ほど前の昭和40年代に修造さんは店を現在の建物に建て替え、その2年後に引退。延芳さんは、父の築いた真新しい店舗と、戦火を逃れてみりん堂の味を伝える醤油タレの「次のあるじ」となりました。

画像2: 醤油タレの“次のあるじ”に
画像3: 醤油タレの“次のあるじ”に

“伝統”の上に“新しさ”を重ねる。受け継がれる大切な味

終戦から70年以上が経ち、街は大きく変わりました。
日本人が復興に向けて立ち上がった当時の焼け野原には東京スカイツリーがそびえ、周辺は多くの外国人観光客で賑わっています。

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修造さんはスカイツリーの完成を待たずして他界。延芳さんはその後も、新商品を多く考案するなど、戦後復興のフロンティアスピリットを今に受け継ぐかのように、固定概念にとらわれない挑戦を続けています。

しかし、どんなに新しい商品を出しても決してブレることのない“みりん堂の芯”。それこそが長年継ぎ足してきた家伝の醤油タレにあるのです。

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「人気商品で二度漬けの醤油煎餅があるんですけど、これは一度目にくぐらせるのが家伝の醤油タレで、二度目にくぐらせるのが私が開発した醤油。時代に合わせて対応していますが、基礎は壊しません。家伝の醤油タレこそみりん堂にとっての基礎。この味はこれからも守り続けます」

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「それに、視野を広く持つことや新しいことに挑戦することも大切ですが、手を広げすぎないこと。これも大切。親父がよく『商売は屏風と同じだ』と言っていました。『広げすぎると倒れてしまう』ということ。大儲けできる商売ではないので(笑)、こだわりを捨てず、丁寧な仕事で『100人中3人が喜んでくれればいい。』それくらいの気持ちで続けていきたいです」

数年前からは息子さんも4代目として店を手伝うようになりました。
伝統の醤油タレには、その時々の“あるじ”の想いが継ぎ足され、これからもさらに深みが増していくのでしょう。

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ライター/下條信吾
写真/黒羽政士
編集/サカイエヒタ(ヒャクマンボルト)

取材協力:みりん堂
東京都墨田区業平1-13-7
03-3621-2151

Youtube 「煎餅屋 みりん堂の“家伝の醤油タレ”」次のあるじ 第三話

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煎餅屋 みりん堂の“家伝の醤油タレ”「次のあるじ 第三話」

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