母との思い出
母は、病院にいて誰に会うという訳ではないけれど、97歳で亡くなる2週間前に突然「美容院に行きたい」と言い出した。
足は悪いけれど、頭はすごくはっきりしていた母。妹が車いすを押してくれて、行きつけの美容院に行った。
いつもは淡い紫色に染めていたが、その日はたまたま濃く染まってしまって、母は後からブツブツ文句を言っていた。
なぜだろう。
母の「櫂」を携えていることで、いつもそんなことを思い出す。
これからも母と共に
妹とお揃いの「櫂」
ハクモクレンの木から母の櫂を2つ作り、何を入れようかと考えていた時に、母の骨ではなく、母の紫色の髪の毛を少し頂戴して入れておこうということになった。そして、妹とお揃いで携えることにした。
母の櫂にしたハクモクレンの木は、軽くてシミがあって木としての魅力はあまりないけれど、それでもいい。
自分と妹にとって、かけがえのない大切な宝物であれば、それがいい。
「櫂」とは
地球に生まれて地球に還る、「心の具」。
遺品をほんの少し、木製の器に納め、身近に持つ。
一緒に散歩するように携え、新しいストーリーを生み出していく。
生活空間にあって、自分にとっては大事だけれど、他人にとっては関係のない、そんなもの。
櫂の本来の意味は、「目的地に向けて船を操る木の道具」のこと。いつでも、どこでも、直接的に故人と心と心を繋げることができるのだ。
一緒に還ろう。
いつか死ぬときは、一緒に火葬してほしい。自分のことを知らない人々の中で、残り続けるよりも身近な人だけで側に居られたら、それでいいではないか。
金属、ガラス、陶器の素材で出来たものは、「永遠」としてずっと残り続けることに意味があるが、「櫂」はそうじゃ無い。一緒に地球に還るのだ。
どんな雑木からでも作れる
ハクモクレンの木と花
人は、こんな木じゃだめだとか言うけれど、作って欲しいと送られて来る木は、雑木ばかり。そんな木で作ってやると、同じのはないわけだから面白い。
名木ではないが、ひとつひとつ木目が違うし、生えていた場所も違う。
庭の木、母が好きだった木。「櫂」を見ると、その時の画を思い浮かべられる。そして、何にもしないでもこんなにも綺麗なんだ。
素材がはぐくむ物語
提供された木から櫂の器を作る。ひとつにつき12cmくらい。木の皮をむいて、ととのえ、素材感のままに磨きあげる。
庭の木、ゆかりの森の木。暮らしになじむ思い出。
遺骨、遺髪、思い出の場所の土、思い出の品を収め、特製の閂(せん)で閉じ、中には木製のシリンダー。シリンダーは、2つまで。小さなメモも入れられる。

私だけの櫂
思い出が違うように素材も形も唯一無二。
宝物みたいな使い方じゃなくてもいい。仮に落としてて傷がついてしまっても、ある種の「思い出」としてそのまま受け入れていい。
何十年とそばで持っていて、変色することもあるかもしれない。それもよし。汚くなったから捨ててしまう、というものでもない。
「私だけのもの」であることが大切で、他の人にとっては何の価値もなくて良い。その人にとっての物語と価値があれば十分だ。
作家
古渡 章(こわたり あきら)
1945年中国大同省生まれ、1967年多摩美術大学インテリアデザイン学科卒業。
木や金属を使った造形物、家具、建築デザインを主に手がける。作品は目黒美術館や北海道立旭川美術館などに収蔵されている。