美しい有田焼で作られた骨壷。その誕生秘話を、株式会社香蘭社の北川淳さんと田崎文博さんのお二人に伺いました。

有田は“日本磁器発祥の地”
町をあげて400年祭

写真左から、田崎文博さん、北川淳さん

──有田焼は日本初の陶磁器だと伺いました。
北川 そうですね。有田は“発祥の地”と言われています。2016年には窯をあげて400年ということで、町をあげて400年祭が開催されました。

──なぜ有田で陶芸が生まれたのでしょうか?
北川 有田の土地というのは山と谷に囲まれています。その有田にある泉山の山あいに磁器を作るのに適した陶石が発見されたことに始まります。今はもう取り尽くしてほとんど残っていませんが、その採掘場は今でも観光スポットにもなっていますよ。

もう一つは、やはり土地柄でしょうか。有田では昔、山あいに穴を開けて“登り窯”という窯を作りました。その角度に適した山あいだったことから、陶工がこぞってそこに窯を作ったんですね。

さらに、谷には水の勢いが良い川があったので、そこに水車を作り、陶石から粘土を作ることができました。焼き物を作るための好条件が有田にあったということです。

焼き物には陶器と磁器の2種類がありますが、その違いをご存知ですか?

──いいえ。ぜひ教えてください。
北川 陶器の原料は石ではなく土。磁器は石なんです。石を細かくパウダー状にして、それを水と合わせて粘土にする。だから粒子が細かいんです。陶器の場合は土を固めて作るので、釉薬(上薬)をかけて焼いても少し水が染み込んだりすることもあるんです。

一方、磁器は水を通さないので衛生的ですし、水に溶かした毒も染み込まないということで、戦国時代のお殿様は磁器を好んで使っていたようですよ。

画像: 讀賣新聞(昭和51年12月27日発行)

讀賣新聞(昭和51年12月27日発行)

──興味深いエピソードですね。基本的なお話になりますが、有田焼の特徴を教えてください。
北川 有田焼の特徴は、まずは素地の白さ。“太白(たいはく)”と呼ばれますが、素地が真っ白なんです。そしてもう一つの特徴は“染錦”という技法です。

有田焼は過程の中で3度焼きます。1度目は粘土を成形したものを乾かし、低い温度で焼きます。その後、藍色に発色する“呉須(ごす)”という顔料で染付をし、“釉薬”をかけて1300度ぐらいの高温で焼きます。さらに金や赤などの絵付けをした後にもう一度焼く。これが“染錦”という技法なんです。

特に赤い色は、それまで日本では出せなかった色だったので、赤絵の焼成を成し遂げた“酒井田柿右衛門”は社会の教科書にも載るほど名が知れました。今でもその赤の絵の具は門外不出で、当主の方が時間をかけて調合されているそうですよ。

有田焼にはその“柿右衛門スタイル”と、“古伊万里スタイル”“色鍋島スタイル”という三つの様式があり、香蘭社はその三つの伝統的な様式をミックスし、現代風にアレンジしています。

“香蘭社には合わない”という
ジレンマを抱えることも

画像: 有田焼創業400年記念で、名品を紹介した一冊に香蘭社の商品が多く掲載されている。(世界文化社発行)

有田焼創業400年記念で、名品を紹介した一冊に香蘭社の商品が多く掲載されている。(世界文化社発行)

──香蘭社さんは今年設立140周年を迎えられたそうですね。
北川 はい。会社という組織になって140年ですが、創業はもっと古くて1689年、江戸時代になります。初代当主、深川栄左衛門が磁器の製造を始めたのが今の香蘭社の前身です。現在はちょうど15代目。300年近く有田焼に携わっています。

──先ほど三つの様式をミックスしたというお話を伺いましたが、それは有田焼の歴史の中でも新しいことだったんでしょうか?
北川 そうですね。時代を見据えて、常に新しいことをやってきたということです。難しいのは、新しいものを作りながらも香蘭社の伝統は絶対に崩さない、という縛りがあること。新しいものを作っても、“これは香蘭社には合わないよ”というジレンマを抱えることもある。

伝統を守りながら新しいものにチャレンジするというのはやはり難しいと、デザイナーはよく言ってますね(笑)。

──“これは香蘭社には合わない”というのは、例えばどのようなことでしょうか? そこにブランドのこだわりがあるように思います。
北川 その辺はデザイナーがよく知っていると思いますが、柄のモチーフであったり、色使いであったり、形状であったり。挑戦することは大切ですが、あまりに斬新すぎてもいけない。そこが難しいところですよね。

仏具のミニセットなど、
先を見据えたモノ作り

画像1: 仏具のミニセットなど、 先を見据えたモノ作り

──有田を拠点に、香蘭社ブランドを全国へ広げていくために、どのように展開されてきたのでしょうか?
北川 私が入社して30年ほどになりますが、基本的には百貨店さんをメインに展開してきました。北海道から九州まで、百貨店さんにコーナーを構えて販売してきました。そこで美術品としてではない有田焼の食器が一気に売れたわけです。

特に百貨店さんでは引出物だったり結婚のお祝いだったりと、ギフトとしてご購入される方が多かったのですが、近年では結婚式のスタイルも変わり、引出物も少なくなってきました。百貨店さんも全国的に減少の傾向にあり、スーパーやコンビニ、100円ショップなど、今や手頃に買えるショップが増えましたよね。

そういう逆風がずっとあったのですが、伝統に固執するのではなく、新しい販路を見つけ出そうという流れの中で、骨壷や仏具にも目を向けるようになりました。

──なるほど。手掛けるようになったのはいつ頃からでしょうか?
北川 20年ほど前になります。オーナーの話によると、台湾の方から注文を受けたらしく、それが発端になったそうです。その当時は具体的な商品化は考えていなかったようで、本格的に販売を始めたのはここ4、5年ぐらいになります。

画像2: 仏具のミニセットなど、 先を見据えたモノ作り

──他の器とは違う、骨壷ならではの特徴はありますか?
田崎 豊富はサイズ展開もその一つです。地域によって収骨に違いがあり、関東の方はお骨は全部(骨壷に)入れるというのが基本なんですが、関西や九州では小さめの骨壷に納めていき、残ったものは火葬場の方で供養され、埋葬されます。

そのため、関東では大きなサイズ、関西・九州では小さなサイズになります。また、地域によっては骨壷を使わず、そのまま箱に入れるというところもあるそうで、日本全国のそういった風習について勉強をしています。

──手元供養のスタイルにも対応された骨壷もあると伺いました。
北川 そうですね。今は一軒家ではなくマンション住まいが主流になっていますので、仏壇も大きなものが置けなかったりして、どうしてもスペースが限られる。そういう時代の流れに合わせた仏具ミニセットなどの商品も販売しています。

手元供養骨壷は持ち歩いたりすることもあるので、弊社独自の構造で蓋と本体がカチッとロックするように作ってあります。

“終活”で準備をしたい方が
ショールームに

画像: 銀座香蘭社のショールーム。1階は食器や花瓶、骨壷は2階でゆっくり選ぶことができる

銀座香蘭社のショールーム。1階は食器や花瓶、骨壷は2階でゆっくり選ぶことができる

──骨壷や仏具は、どういった方がご購入されていかれますか?
北川 香蘭社の一番コアなお客様は50〜60代の女性のお客様で、骨壷に関しましてもやはりそれぐらいのお客様が多くいらっしゃいます。ご両親のお骨を入れ替えてあげたい、ということでお子さんがご購入されたり、“終活”という言葉がありますが、前もって準備をしたいという方がショールームにいらっしゃったりします。

──ショールームには、食器はもちろん、骨壷や万華鏡などバリエーション豊富な商品が揃っていますね。今後の展開として、今どのようなことを考えていらっしゃいますか?
北川 どういうニーズに合わせてモノ作りをしていくか、ということですね。例えば昔は、和食器といえば5枚セットが主流だったんです。だけど今は3人家族が多くて、5枚も必要がなかったりする。そのために3枚セットのものやペアのものを増やしたり、仏具のミニセットを作ったり、ちょっと先を見据えたモノ作りをしていく必要があります。

それはまた、年齢層を広げるチャンスでもあると思っています。若い世代の方たちにも支持していただけるような、気軽に手に取っていただけるようなモノ作りも一生懸命考えているところです。ただ、300年以上培ってきた伝統もありますので、その伝統は残していきたいなと思います。

ライター/大窪由香
写真/大塚日出樹
   

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